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桧原桜物語(ひばるざくら)福岡県南区,現在も短歌が!土井さんの桜リレーは続いていた [エンタメ]

奇跡体験!アンビリバボーにて、福岡県で桜にまつわる奇跡の物語について取り上げられます。

それは、桧原桜物語(ひばるさくら)

福岡県では有名な話しのようで、現在でも語り継がれています。

そこで、今回は桧原桜物語(ひばるさくら)についてまとめるとともに、現在の桧原桜公園の様子も紹介します!

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桧原桜物語(ひばるざくら)名前も知らない同士がつないだ桜リレーとは


福岡県福岡市南区。

今から33年前の1984年、銀行員として働く土井さんは、通勤途中にある「桧原桜」を毎年楽しみにしていた。

しかし、ある朝9本ある桜のうち1本が伐採されているのを見つける。

道路の拡張工事で伐採されてしまい、残りもこの調子で切られてしまうのか。

そう残念がる土井さん。

土井さんは日中も桜のことが気になって仕方ない。

翌朝早朝に、まだみんなが寝静まっている頃、

土井さんは一遍の短歌に書き記し、その短歌を桜の木にくくりつけた。

「花守り 進藤市長殿

花あわれ せめては あと二旬 ついの開花を ゆるし給え」

残った桜は、つぼみをいっぱいにつけ、もうすぐ開花真近であった。

そんな桜が切られるのはかわいそう。

せめて、あと20日は最後に花が咲いて散るまでなんとか伐採を待って欲しい。

道路の拡張工事は必要だが、あと少しで桜は咲こうとしている。桜がかわいそう。

自分にはこれくらいのことしかできない。せめてもと思い、短歌を桜の木にくくりつけたのだった。

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土井さんが桜の木に短歌をはり、その場を去ったすぐ後、とある男性が桜のものを通り過ぎた。

当時、九州電力の社長だった川合辰雄さん。

川合さんも土井さんと同じように、切られる桜の木に心を痛めていました。

なんとかしたい。

その日川合さんは会社の部下の大島さんにこの話しをした。

大島さんはすぐに桜のすぐそばで行われている工事を見に行ったものの、この事業はとめるのは難しいと思った。

しかし、大島さんはあるアイディアが浮かぶ。

それは、知り合いの西日本新聞の記者・松永さんに桜のところに行くと面白い光景が見られると伝えた。

短歌がはってあることは、あえて言わずに松永さんのジャーナリスト魂にかけたのだった。

桜のもとを訪れた松永さんは、短歌がはってあることを新聞に取り上げる。

すると、この新聞の記事を見た福岡県市長の進藤一馬さんは、心を打たれ返し歌を書き桜の木に貼りに行った。

「桜花惜しむ 大和心の うるわしや とわに匂わん 花の心は 香瑞麻(かずま)」

たとえ市長である、私が止めたくても私情だけで大掛かりな工事はとめられない。

木は切られてしまうが、桜を愛するあなたの心は受け止めたという気持ちを託したのだった。

同時になんとか、花の命を延ばすことを考えた進藤市長。

当時の道路拡張工事を担当していた石井さんに伐採をなんとか桜が散るまで待てないか相談した。

その相談を受けた石井さんは、工事が延びることで予算も増えることでとても悩んだ。

しかし、なんとか桜を生かすために奔走し、元々あった池を埋めて、そちらに道路を作り、池側にあった桜も移すことに。

こうして、切られる運命だったひばる桜はこうして守られた。

お互いに名前も知らない同士がつないだ、心のリレーによって現在も桧原桜が咲き誇っている。

桧原桜公園には現在も短歌が!土井さんの桜リレーは現在も続いていた!


桧原桜のある、桧原桜公園では現在でも春になると桜満開の景色が楽しめます。

また、当時の土井さんと進藤さんの短歌が石碑として刻まれ残されています。

そして、桜が咲く時期になると、当時の名残として短歌が綴られた短冊が飾られ、桜をより一層美しいものとしています。

短歌が沢山

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また、この桧原桜(ひばるさくら)物語は、書籍としても語り継がれており、公園にはポストが設置され、本の感想を読んだ方などからの手紙が投函されるそうです。

土井さんが桜を守るために、綴った1枚の短歌がこうして現代でも続いているということはとても素敵ですね。

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