So-net無料ブログ作成
検索選択

永田行夫ナヴォイ劇場建設と桜公園の感動秘話とは?多くのウズベク人を救った知られざる日本人! [エンタメ]

中央アジアのソ連崩壊後にできた国ウズベキスタン。

旧ソ連の雰囲気がいまだ色濃く残るウズベキスタンの首都・タシュケントにはナヴォイ劇場という美しいオペラハウスがあります。

実はこのナヴォイ劇場は日本人捕虜によって作れた劇場。

そして、このナヴォイ劇場と近くの公園には約600本もの桜の木が植えられています。

実はこのウズベキスタンに咲く桜には、ナヴォイ劇場に関った日本人捕虜たちとの深いつながりがあります。

そこで今回は永田行夫さんが指揮をとったナヴォイ劇場建設と桜公園の感動秘話について紹介します!

スポンサーリンク




永田行夫ナヴォイ劇場建設と桜公園の感動秘話とは?


永田行夫さんは24歳の時、満州で終戦を迎えた。

航空機の整備などの仕事をしており、終戦後、日本へ帰れると思ったが、旧ソ連軍の捕虜となり電車に40日間乗せられてウズベキスタンに連れていかれた。

当時ウズベキスタンに連行された日本人捕虜は約2万5000人。

永田行夫さんは、ウズベキスタンの首都・タシュケントの収容所に入れられ、約450人の第4ラーグリー隊の指揮を取り、ナヴォイ劇場の建設を任命された。

収容所は悲惨な環境だった。

栄養失調で歩くのもやっとの日もあった。

ベッドには南京虫が潜んでおり、お風呂はついておらず、街中にあるシャワー室に連れて行かれていたという。

人間の入浴というより、着ている被服についているしらみの対策のため、月に1~2回しかいけなかった。

収容所の中で隊長として自分はどう指揮をとったらいいのか考え抜き、とにかく全員が無事で帰るにはどうしたらいいのか。これが1番の使命だったという。

いつ帰れるかわからない先の不安が見えない中、永田行夫さんは、気落ちしないようにしないといけない。必ず帰れるから頑張れと仲間を励まし続けた。

厳しい環境の中でも少しでも気を紛らわし、楽しめるように様々な工夫をした。

演劇、将棋麻雀、音楽(バイオリンやマンダリン、シンバル、太鼓)など、劇場建設現場にてあまった材料を使い、自分たちで作った。

さらには着物、かつら、刀などを作り、女形も演じるなど、日々の辛い労働を少しでも忘れられるように努力した。

いつ死ぬかわからない、何のために生きているかわからないというような不安に襲われながらも懸命に仲間たちのことを想い、

「みんな生きて帰ろう、そして桜をみよう」

希望忘れずに、どんなに過酷な環境でも懸命に仕事をこなした。

やがて、捕虜として過酷な環境の中でも、懸命に働く日本人に対し現地の人は好意と尊敬の念を持ち始める。

子供たちも懸命に働く日本人の姿に同情し、食べ物を差し入れする子供もいた。

そんな子供に対し、日本人捕虜たちは精巧に作られた手作りおもちゃを渡し、お礼をすることを忘れなかった。

強制労働であったにも関らず、受けた恩に精一杯答える日本人の姿勢は、ウズベク人の間でも語り継がれるようになっていった。

スポンサーリンク




そして、2年後、ナボイ劇場は完成。

永田行夫さんも日本に帰国することとなった。

帰るときに、収容所の人の全ての名前と住所を暗記した。

日本帰国後、すぐに覚えていることを紙に書き、収容所で一緒だった人に手紙を書いたという。

中には行方がわからなくなった人、亡くなったものもいたため家族に連絡してあげなければいけないと思ったという。

そして月日は流れ、ナヴォイ劇場が完成してから20年後。

タシュケントの街はマグニチュード8の大地震に襲われた。

タシュケントの建造物の3分の2の建物が倒壊する中、日本捕虜たちが建てたナヴォイ劇場だけはほとんど倒壊することなく、避難場所として多くの人の命を助けた。

また、実はソ連時代、当時亡くなった日本人が眠る墓地をつぶし更地にするようにという命令が入った。

ソ連側は日本捕虜によってこの劇場が作られたことを隠蔽したかったのだ。

しかしこれに対しウズベキスタン側は「ここは日本人が眠っているのだから」と命令を無視し、日本人墓地を守った。

その後、当時さくらを見られず亡くなっていた日本人への思いも込め、各日本人墓地、近くの公園や大通りなど約1300もの桜の苗木が植えられることになり、現在でも季節になると美しく桜の花が咲き乱れている。

月日は流れ、永田行夫さんはナヴォイ劇場を訪問し、奥さんと一緒に公演を見に行ったという。

当時訪問した時には、ナヴォイ劇場が地震で多くの人の命を救ったことを知らずに後から知らされた。

その後2010年永田行夫さんは亡くなられました。

しかし、亡くなられる前まで当時一緒に働いた仲間たちから「隊長」と呼ばれ慕われていた。

永田行夫ナヴォイ劇場建設と桜公園の感動秘話とは!多くのウズベク人を救った知られざる日本人-おわりに


このようなエピソードがあったとは、日本では知らない人がほとんどなのではないでしょうか。

どんな理不尽で過酷な環境に置かれても、与えられた仕事を一生懸命手を抜かずに行う。

先人たちがこうして作ってきた道だからこそ、今日本は世界でも好意的に見られる国であるのだろうと改めて感じました。

このような日本人がいたことをもっと多くの人に知ってもらいたいなと思うエピソードでした。

スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0